日本語で困ったのはバーに行った時

バイさん(中国)

 僕は北京生まれの北京育ちです。25歳で大学院の修士を終えるまで、ずっと北京に住んでいて、家でも家族とは北京語以外話しませんでした。でも、外国語は英語を小学校1年生から学びました。中国では普通、英語の授業は小学校3年生からなんですが、私の小学校は1年生からありました。中国では、中学校と高校は一つの学校なんですが、私は外国語学校に行きました。その地域では「いい学校」だったんです。普通の学校では中国政府発行の英語の教科書を使うんですが、その学校はイギリスから出版されている海外の教科書を使っていたのがよかったですね。授業は教科書のダイアログを真似するだけでしたが。

 北京大学では外国語は英語しか取りませんでした。後は専門の勉強だけでした。北京大学の大学院の時、日本語を自分で勉強していたんです。そして、文法などだけでJLPT (Japanese Language Proficiency Test)の2級を取りました。リスニングは日本のバラエティ番組とか見て練習したんで、私の日本語は少し変なんですよ。でも、話すことはできませんでした。

 北京大学の大学院の時、2013年ですが、初めて日本に行きました。短い研修旅行でしたが、京都大学で色々な研究室を見て、京都の公的機関、東京では企業にも行きました。15名のグループで行ったんですが、京都で府庁を訪問した時、偉い人たちからとても歓迎を受けて、すごく驚きました。多分「北京大学」っていう名前がよかったのかもしれませんね。京都大学では、日本の神社や寺の経済についてグループ研究をしました。その旅行中、主に英語で日本人の人たちと話しましたが、日本人の学生とは頑張って日本語も使ってみました。でも、ほとんど分かりませんでした。

 博士課程はアメリカの大学に進みました。アメリカの大学に留学して、日本語が必須だったんですが、JLPT2級があるし、プレースメントテストの結果は上級だったんです。とは言っても、話す練習はしていなかったので、日本語プログラムの先生と相談して、日本語1年生、つまり一番下のレベルから勉強を始めることにしました。始めは簡単だったから、単語を日本語で読む練習(前は漢字で意味は分かったが読み方を知らなかった)と話す練習に時間を使いました。

 2013年に京都大学でグループ研究をした時、図書館で本を探したんですが、本の場所が分かりませんでした。でも、日本人の司書には怖くて聞けなかった。図書館にはその時、夏休みだったせいで他に外国人もいなかった。だから、結局、ネットで自分で探しました。

 2013年に京都大学でグループ研究をした時、図書館で本を探したんですが、本の場所が分かりませんでした。でも、日本人の司書には怖くて聞けなかった。図書館にはその時、夏休みだったせいで他に外国人もいなかった。だから、結局、ネットで自分で探しました。

 2016年に金沢で8週間の日本語プログラムに参加した時、ホストファミリーの家に住んでいたんです。よくホストファミリーと一緒に出かけました。車の中でずっと日本語で会話していました。色々な話題について話したけど、ホストお母さんよりお父さんの方がよく話してくれた。僕は男の人の日本語の方が分かりやすいと思う。短いから。女の人は話が長くてよく分からない。

 金沢にいた時、日本語で困ったのはバーに行った時。方言とかで話されたし、「それはどういう意味ですか」って聞きにくいし、そんな時は、分からないままにした。分かったようなフリをした。でも、最初に自分は中国人で日本語を勉強していますって伝えました。たいてい一対一の会話で、ちょっと簡単な単語で話してくれました。

 バーみたいな所は日本語でコミュニケーションしやすい。お酒も入っているし、相手は知らない人だし。僕は毎週違うバーに行っていた。最後は気に入ったバーに2,3回続けて行った。そういうバーは本当に小さくて、バーテンとマスター、それから客の椅子が4つとソファだけ。僕が行った時は全部で4人くらいしかいなくて、一人一人と話せた。そういうバーが大好きでした。

 コミュニケーションを上手にするために、僕は聞く能力が大事だと思う。そして、分からないことがあった時、色々なストラテジーが使えるといい。僕の場合は漢字。それに、一番始めに自分が外国人だと言ってしまうことが必要だと思う。特に僕は外見が日本人と変わらないから、それが大事だったと思います。