第2回

第2回 「セカイの日本語〜みんなの声〜」を通して日本語育児を考えよう

林寿子(カールトン大学)

私は大学の日本語教師であるとともに二児の母でもある。子供達には日本語で育児をしている。小学校1年生の長男は言葉はほとんど発さないスペシャルニーズの子だが、英語での支援学校生活・セラピーが終わると家では日本語の童謡で手遊びを一緒にしたり、日本語の絵本を次々と私に読んでといわんばかりに持ってくる。彼にとっての日本語は癒しのような感じだ。未就学児の次男は、日本語と英語の使い分けが少しずつ出来てきて、時には日英ごちゃごちゃになりながらも、自分の言葉の世界を広げている。コロナのロックダウンに入る直前に生まれた次男は、日本語使用者との定期的な交流は母である私、おばあちゃんとのライン、たまに一緒に遊ぶ限られた日本語使用者家族くらいだ。英語のデイケアに行き始め英語で話すことも増えてきたので親である私は余計に罪悪感に苛まれる。

そんな時、「セカイの日本語〜みんなの声〜」プロジェクトで、インタビューをした人たちの「こえ」がとても心に響いた。これらの人々は、完璧な日本語を話さないと日本人と同じ立ち位置ではなくなる、日本語を間違えたり、スムーズに話せないと恥ずかしいというジレンマを示しながらも、各々の理想や夢に向け、たくましく多言語生活をおくっている。ここから私たち保護者は何が学べるだろう。どのように多言語を背景に持つ子供達のアイデンティティを前向きに気長にサポートし、日本語の言葉の世界を広げる手助けができるのか。幼い子供の日本語育児で私が家庭で実践していることは、例えば「こぐまちゃんのほっとけーき」を読んだ後、一緒にホットケーキを絵本で出てくる言葉を使いながら作ったり、「シャボン玉」を歌いながらシャボン玉遊びをするようなことで、とにかく言葉を身近に感じさせることを大切にしている。また、子供達の言語と言語を取り巻く社会・教育・家庭環境を包括的に考え、多言語環境の特性を中心に、世界も広がるという風に、日本語育児の中での当たり前の現象として子供と接するようにしている。読者の皆様にも、「セカイの日本語〜みんなの声〜」のインタビューを一度ご覧いただき共感できる部分を探していただきたい。様々な背景を持つ日本語使用者の多様な「こえ」は私たち保護者、教育者の気持ちを応援し、日本語育児の疑問を解決できるようなヒントが隠されているのではと感じるこの頃である。