第1回

第1回 「セカイの日本語〜みんなの声〜」を授業で使ってみよう

柴田智子(プリンストン大学)

私は米国の大学で学んでいる日本語4年生たち(ACTFL 中級の中から上のレベル)に「日本=日本語=日本人」というイコールサインについて批判的に考えてもらう授業をしている。学生たちはリービ英雄やアーサー・ビナードといった越境 作家や、村上春樹のような海外でも人気のある作家のエッセイや作品を読みながら、日本語使用者の1人としてコミュニティに何らかの貢献をするプロジェクトをする。それらの活動を通して自分たちの視点から「イコールサイン」について考えてもらっている。例えば、国籍やアイデンティティを考える授業では、日本人とは?自分は何人(なにじん)なのか?パスポートで決まる国籍と、自分の感覚の違い。親の国籍や育った場所。1人1人のバックグラウンドは本当に多様で、みんなに色々な角度から意見を出してもらう。今までそんなことを考えたこともなかった学生も、少し自分自身のアイデンティティについて考えてくれる。

ある時、「セカイの日本語〜みんなの声」に掲載されているビデオを見るという宿題を出した。自分の興味のあるビデオを2つ選んで、その人たちの話している内容を自分の経験や考えと比べ、似ているか違うか考えてもらった。学生たちはインタビューを受けた人の日本での苦労話に驚いたり、日本語の学び方に共感したり、日本国籍の人がアメリカ留学で感じたことが自分の留学の経験と同じだと感心したり、授業で活発に意見交換していた。やはり生の声はパワーがある。ほんの数分のビデオにその人の人生の一部が凝縮されている。

このウェブアーカイブを通して学生たちは日本語の多様性にも気がついた。自分たちのような日本語レベルの人からビジネスで通用する日本語レベルの人まで、様々な日本語使用者の日本語がアーカイブには載っていて、学生たちはその バラエティに驚く。日本語教師としては「多様な日本語」を授業でどこまで許容するかは悩ましいところであるが、そこは活動の目的や目標によって変わっていいと私は考えている。

日本語学習のきっかけは様々だと思うけれど、このようなウェブサイトを使い、自分以外の日本語使用者について考えてみるのもいいと思う。